痛みは我慢出来ないほどではないブログ:2020-04-07
あたしは両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でビールに溺れるお父さん、
そのことでお父さんをなじるお母さん。
そしてその怒りをお姉さんやあたしにぶつけ、
お姉さんはその怒りをあたしにぶつけていました。
家には居場所がない…
息子の時のあたしは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
お母さんに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
あたしは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
お母さんは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
あたしがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通の息子でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないお父さんとお母さん、お姉さんとの確執。
その時のあたしの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁を腹にあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
連日のように思っていました。
そしてある時、あたしは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしてあたしは一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。
でも、そんなあたしでも
今は少しづつお父さんもお母さんもお姉さんも
許せていっています。
お姉さんに息子が産まれ
実家で息子たちと遊ぶようになった時に、
お姉さんから
「ありがとう」と感謝をされたことで
あたしの中で何かがかわりはじめたんです。